【映画】ペット・セメタリー~あらすじと感想~やってはいけない。でも……

映画『ペット・セメタリー』あらすじと感想

映画『ペット・セメタリー』は1989年公開のホラー映画。監督はメアリー・ランバート。原作はスティーブン・キングです。

この記事で扱う『ペット・セメタリー』は1989年版です。

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映画『ペット・セメタリー』あらすじ

田舎町の一軒家に越してきたルイス・クリード。妻、幼い娘、ヨチヨチ歩きの息子、そして一匹の飼い猫。絵に描いたような『幸せな家族』だ。

引っ越してきた当日、娘が庭で小さな細道を見つける。

後日、隣家に住むジャドの案内でクリード一家はその細道の先へと進む。そこにはペット墓地(ペット・セメタリー)があった。

ある日、ルイスと飼い猫を残し、妻と娘、そして息子の三人が妻の実家に帰省した。その時、交通事故で飼い猫が死んでしまった。

その猫をひどく可愛がっていた幼い娘を悲しませたくない。ルイスの様子を見たジャドは、詳しいことは何も話さず、ルイスをペット墓地のさらに奥へと連れて行く。

ジャドに言われるがままに飼い猫の死体を埋めるルイス。

翌日、ルイスの前に、死んだはずの飼い猫が帰ってきた。

だが、帰ってきた飼い猫はひどい匂いを発し、以前とは様子が違っていた。

映画『ペット・セメタリー』感想

映画『ペット・セメタリー』のネタバレを含みます。

もしかしたら……

人は弱いもので、うまくいかないと分かっていても、「もしかしたら、今度はうまくいくかも」と思ってしまうことがある。

映画『ペット・セメタリー』のルイスも、飼い猫チャーチルが豹変した姿で生き返ったのに、そしてジャドから過去の悲劇を聞かされていたのに、愛する息子を蘇らせてしまった。

「もしかしたら、うまくいくかもしれない」

愛する人を失ってしまった悲しみ。

愛する人を失いたくない。

愛する人を生き返らせる方法がある。

ルイスの行動は、決して特殊ではない。愛する人を生き返らせることができるなら……。きっと多くの人がルイスと同じことをしてしまうことだろう。

「もしかしたら……」

万に一つの可能性にかけ、愛する人を蘇らせる。

では、愛する人が以前とは全く別人の、悪鬼として蘇ってしまったら?

ずるいよ

映画『ペット・セメタリー』で私が最も印象に残ったセリフは、蘇った息子が最期に言った「ずるいよ」の一言。

父親ルイスに対して、「自分の都合で生き返らせておきながら、思ったのと違ったから殺すなんて、そんなのずるいよ」と言っていたのだろう。

この『自分の都合で命を操り、不要になったら殺してしまう』というのは、現実でもよく見られる。

売れると思って犬などの動物を繁殖させ、でも売れなかったから殺してしまう。

子供ができると分かっていながら性行為をして、本当に妊娠したら中絶してしまう。

人間の身勝手な行いにより殺される命。

映画『ペット・セメタリー』では、ルイスは猫、そして息子でも失敗しているのに、「もしかしたら」と身勝手な考えで今度は妻を蘇らせた。

そして、最期はその妻に殺された。

身勝手な考えで命を弄んだ罪。

もはや誰かに殺されることでしかルイスを止める術はなかったのかもしれない。

人に優しく

ルイスを止めようとしてくれた者もいた。

ルイスが病院で最期を看取った男性パスコー。彼はもう助かる見込みのない自分のために、投げ出さずに治療を続けてくれたルイスに恩を感じ、ルイスを助けようとしてくれた。

ルイスに警告し、娘の夢に出て、妻を導いたパスコー。

残念ながら、パスコーの努力は実らなかった。だが、助けようとしてくれた、ということは事実だ。

誰かに優しくすると、優しさが返ってくる。

優しくされると「何か裏があるんじゃないか?」「偽善だ」などと考える人もいる。そんなことを考えさせてしまう世界は悲しい。

人に優しくするのは当たり前。優しさには優しさで応える。

そんな世界になったら、きっと世界は今よりもっと穏やかで暖かくなるだろう。

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