
今日は『エクソシスト ディレクターズ・カット版』というホラー映画のあらすじと感想を書いていくよ

オリジナル版が公開されたのは1973年。何の罪もない少女が悪魔に取り憑かれ、豹変して、その悪魔を払うために神父が悪魔祓いを行うという物語だよ

悪魔に取り憑かれた少女。悪魔を祓おうとする神父。でもさ、最後まで助けてくれないんだよね、神は

神父さんたちが命がけで悪魔祓いをしても、神様は助けてくれない。信心深い方たちが観たら、どんな映画より怖いよね
映画『エクソシスト ディレクターズ・カット版』基本情報とあらすじ
まずは、映画『エクソシスト ディレクターズ・カット版』の予告編ムービーをご覧ください。
タイトル | エクソシスト ディレクターズ・カット版 (原題 The Exorcist: Extended Director’s Cut) |
ジャンル | ホラー |
監督 | ウィリアム・フリードキン |
キャスト | ブリー・ラーソン |
公開年 | 1973年(日本では1974年) |
年齢制限 | PG12 |
備考 |
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あらすじ
女優のクリス・マクニールは、一人娘のリーガンと、数名の使用人と共に生活していた。
クリスは離婚してはいるものの、生活に支障はない。リーガンも素直な子に育っている。
クリスが出演している映画の撮影も順調に進んでいた。
クリスは、そしてリーガンも、幸せな生活を送っていた。
だが、異変が起きた。
リーガンが卑猥な言葉を吐くようになった。
リーガンの見た目もおぞましく変化していく。
クリスはリーガンを病院に連れていくが、時間をかけた検査の末、医学ではどうにもならないと見放される。
ついにクリスは超自然的な力に頼る。カトリック教会のデミアン・カラス神父に事情を話し、協力を求めた。
初めは半信半疑だったカラス神父だが、調査をし、悪魔祓いを行うことを決意する。
かくして、カラス神父、そして悪魔祓いの経験があるメリン神父の二人が、悪魔と戦うためにリーガンの前に立つ。
映画『エクソシスト ディレクターズ・カット版』感想

ネタバレを含みます
降りかかる不幸
映画『エクソシスト』では、可愛らしい少女リーガンが悪魔に取り憑かれてしまいました。
映画に描かれている限りでは、リーガンはとても良い子のようでした。
決して何か悪いことをしたわけではないのに、リーガンは悪魔に取り憑かれてしまった。
この映画『エクソシスト』の恐ろしいところの一つは、この「何か悪いことをしたわけでもない可愛らしい少女が悪魔に取り憑かれた」ことだと思います。
強いて言えば、「こっくりさん」のようなことをやったようですが、だからと言って幸せそうな少女が悪魔に取り憑かれて豹変する様は、特に神を信じる人々にとっては衝撃的だったことでしょう。
映画『エクソシスト』の怖ろしいところは、「誰にだって、不幸は前触れなく降りかかる」というところ。「自分は大丈夫」なんてことは決して無いのです。
例えば、現実社会でも、不幸は突然やってきます。
道を歩いていただけなのに、飲酒運転の車にはねられた。
頑張って働いていたのに、会社が潰れた。
自分ではどうしようもない理不尽な『不幸』は避けることなどできず、前触れもなく降りかかる。
ですが、映画『エクソシスト』では救いもありました。
悪魔という『不幸』に見舞われたリーガンは、周囲の人達の協力と尽力、そして犠牲により助かりました。
「理不尽な『不幸』に見舞われても、助かるんだ」という救いのメッセージが、映画『エクソシスト』には込められていたように思えました。
神なんていない
神がいるとしたら、なぜリーガンは悪魔に取り憑かれなければならなかったのか?
神がいるとしたら、なぜ悪魔を祓うために二人の神父が犠牲にならなければならなかったのか?
リーガンが悪魔に取り憑かれ、映画監督が殺され、二人の神父が犠牲になって、やっと悪魔は祓われました。その間、神は何をしていたのか?
映画『エクソシスト』に神なんていない。祈ったところで助けてなんてくれません。いないのですから。
最終的に悪魔をリーガンから引き離したのはカラス神父でした。カラス神父は、「信仰さえ消えた」と言い放ったカラス神父は、悪魔に取り憑かれたリーガンを殴り飛ばし、自らの身体に悪魔を憑依させ、自ら命を断つことで、悪魔を祓いました。どこに神がいましたか?
神を信じていたメリン神父は悪魔に敗れ、その命を落としました。
もはや神を信じていないカラス神父は、神などに頼らず自ら犠牲となることで、リーガンを救いました。
神、つまり、他の誰かにすがってただただ祈りを捧げ続けたところで、助からないのです。
助かるのは、助かろうとした人だけ。
リーガンは、悪魔に取り憑かれても、助かろうとしてメッセージを送り続けました。結果的に、そのメッセージがカラス神父に届き、悪魔祓いが行われ、リーガンは救われたのです。
不幸に見舞われたら、悔やんでも、祈りを捧げても、ただそれだけでは助からない。
助かりたいのなら、助かろうと必至にならなければならない。
映画『エクソシスト』には、宗教的な映画でありながら、「本当に助かりたいのなら、神に祈るのではなく、自分で助かろうと行動しなければ駄目なんだ」というメッセージが込められているように思えました。
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