映画『ファイト・クラブ』は1999年公開。監督はデヴィッド・フィンチャー。主演はエドワード・ノートンとブラッド・ピット。
PG12指定の映画です。
映画『ファイト・クラブ』あらすじ
僕は自動車会社でリコール調査を担当している。
全米を飛び回り、会社に帰ったら報告書をまとめる。そんな毎日。
自宅は高級コンドミニアム。デザイン家具や高級ブランドの衣類なんかに囲まれて暮らしている。
傍から見れば良い生活をしているかもしれないが、僕は不眠症に悩まされ、精神科に通っている。
医者は言う。「世の中にはもっと苦しんでいる人たちがいる」と。
僕は癌や結核などで苦しんでいる人たちの自助グループに参加した。
僕は偽の患者だけど、自分の死と向き合っている人たちと交流していると自然と涙が止まらなくなった。
いつの間にか不眠症が治りかけていたけれど、あることをきっかけにまた眠れなくなった。
そんな時、僕は出会ったんだ。タイラー・ダーデンという男に。
僕とは正反対の、型破りで危険な感じがするこの男と出会ったことで、僕の人生は大きく変わっていった。
映画『ファイト・クラブ』感想
映画『ファイト・クラブ』のネタバレを含みます。
自分のやりたいことをやっているか?
映画『ファイト・クラブ』では、コンビニの裏でダーデンが店員に銃を突きつけるシーンがあった。
ダーデンが店員に要求したことは、「自分が本当にやりたいことをやれ」ということ。
獣医を目指していたのに諦めて、今は安アパートに住みながらコンビニ店員をしている男に、「腐るな。本気で生きろ」と言いたかったのだろう。
あのコンビニ店員がその後どうなったのかは描かれていないが、もしも勉強を始めて、いずれ獣医になったとしたら、『コンビニの裏で銃を突きつけてきた男』に感謝するのではないだろうか?
このコンビニ店員は、現代社会に生きる多くの人の姿を表したキャラクター。
本当はやりたいことがあったのに、諦めて、今では安月給でやりたくもない仕事に神経をすり減らしながら生きている。
生きているという実感なんて得られず、でもどうすることもできず、ただ毎日をやり過ごしているだけ。
もう諦めてしまって、本音を言うと嫌で嫌で仕方がないけれど、抵抗する気力もなくしてしまった。
そんな人たちに対して、ダーデンは「諦めるなよ」と暴力的なエールを送ったのだろう。
あのコンビニ店員。あれで変われなかったら一生あのまま腐り続けることだろう。
結局、どれだけ応援されても行動するのは自分。
ダーデンの『エール』は単なるきっかけ。
自分を、そして現実を変えたかったら、自分でなんとかするしか無い。
踊らされていないか?
テレビや雑誌、今ならインターネットなどの媒体で流されている情報に踊らされていないか?
映画『ファイト・クラブ』の主人公も、初めは、こういった媒体が勧める生活を追い求めていた。
そして精神を病み、不眠症になった。
何も、こういった媒体で紹介されているもの(物質的なものだけでなく、生き方なども含む)を参考にすることは悪いことではない。
ただ、何も考えずに受け入れ、次から次へと提示される『もの』を追い求めるだけの人生は本当に幸せなのか、と映画『ファイト・クラブ』は問いかけているのだろう。
流行に流される人生も、それはそれで良いだろう。それで満足しているのなら、その姿勢を貫けば良い。
だが、流行を追い求めることに少しでも疑問を持ったのなら、流行なんて無視してしまえば良い。
何かに踊らされ、意思決定を自分以外の何かに任せることに疑問を持ったのなら、それは、自分の人生を自分の手に取り戻すきっかけかもしれない。
あなたの人生、手綱を握っているのは誰?
【『ファイト・クラブ』原作小説】
【本作】
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