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【映画】グッド・ライ~いちばん優しい嘘~あらすじと感想~スーダン難民が苦難の末にアメリカに移り住むが……

映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』あらすじと感想

映画『グッド・ライ~いちばん優しい噓~』は、2014年公開。監督は フィリップ・ファラルドー。出演は、リース・ウィザースプーン、アーノルド・オーチェン、ゲール・ドゥエイニー。

映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』あらすじ

スーダンの小さな村で暮らしていた少年マメールたち。電気もガスも水道もない、周囲には野生動物が跋扈している村だが、マメールたちは幸せに暮らしていた。

だが、内戦がマメールたちの運命を変えてしまった。村は襲われ、大人たちは殺され、マメールたちは子供たちだけで、比較的安全と言われている隣国ケニアに逃げることにした。

1,000キロも歩き、仲間が一人、また一人と死んでいく。難民キャンプに辿り着いたのは、マメールを含む四人だけだった。

それから10数年の時が流れ、マメールたちにチャンスが訪れる。アメリカが3,600人のスーダン難民を受け入れると言うのだ。

マメールたち四人は審査に合格し、アメリカに移住できることになった。だが、アメリカ側の規則により、マメールと姉アビタルは離れ離れに。

マメールたちは、自分たちが育ってきた環境とは全く違うアメリカ社会で、何とか生き抜こうとする。

姉のアビタルと再び共に暮らせる日が来ると信じて。

映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』感想

映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』のネタバレを含みます。

違いすぎる環境

電気もガスも水道もない村で育ったスーダン難民たち。

電話もゼリーもマクドナルドも知らない。知らないのだから、使い方も食べ方も、それが何かも分からない。

アメリカ人のキャリーは、最初はスーダン難民たちにイラ立つ。キャリーだけでなく、飲食店の店主やスーパーの店長なども、スーダン難民たちにイラ立っていた。

イラ立って暴言を吐いたところで、何が変わるというのだろう?

そもそも、産まれた国も環境も全く違う者同士、知識や考え方に隔たりがあるのは当たり前。なぜそれを理解できないのだろう?

相手の話を真剣に聞くこと。ただそれだけでも、相手に対する見方が大きく変わるものだ。

映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』でも、ポールが工場の同僚(アメリカ人)にライオンに襲われた話をしたとき、同僚たちは最初はヘラヘラしていたが、次第に真剣な顔つきに変わっていった。気付いたのだろう。ヘラヘラ笑って聞くような話ではないと。ポールがどんな世界で生きてきたのかを。

同じ国の人間同士、例えば、日本人同士だって価値観も考え方も異なることがよくある。違う国の人同士ならなおさら。ましてや、超大国アメリカと、開発途上国スーダンとでは、根本から異なっていてもおかしくない。

イラつく前に

異文化交流などという大きな交流では当然ですが、親子や兄弟姉妹といった家族同士だって価値観や考え方が異なるのは当たり前。違う人間なのだから、全く同じだなんてありえない。

「なぜ分からないんだ」「なせできないんだ」そんな風にイラ立つ前に、相手を理解しようしたか?

きっと相手は、あなたがなぜイラ立っているのか分からずにいるだろう。もしかしたら、相手もあなたにイラ立っているかもしれない。

イラ立って、そのイラ立ちを相手にぶつけたところで何か解決するだろうか? そもそも、イラ立っている自分自身が嫌にならないか?

誰かがあなたをイラ立たせるようなことをした場合、それをした理由を聞いてみてはどうだろう?

映画『グッド・ライ~いちばん優しい嘘~』でスーダン難民たちに関わったアメリカ人たちのように、考え方が変わるかもしれない。

素朴な優しさ

親切にしてくれたキャリーにお礼をしに行ったマメール。勝手に家の中に入って驚かれてしまいますが、マメールに悪気はないのは明らか。

また、電車の中で、見ず知らずの他人にオレンジを渡そうとするジェレマイア。断られてしまったが、ジェレマイアにとっては皆で分け合うのは当たり前の行為だったのだろう。

お礼をする。喜びを分かち合う。相手がたまたまその場に居合わせただけの他人であっても。

マメールたちスーダン難民(ロスト・ボーイズ)は、高度な文明こそ持ち合わせていなかったが、逆に先進国の人々が失ってしまったものを持ち続けていたようだ。

何でもアメリカ化すれば良いわけじゃない。文明を発展させれば心から幸せになれるわけじゃない。

物質的に豊かになっていく過程で何を失ってしまったのか。国民全員で考える時間があっても良いかもしれない。

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