映画『エクソシスト ディレクターズ・カット版』は、1973年公開。監督はウィリアム・フリードキン。
PG12していのオカルト系ホラー作品。公開当初は失神者が続出するほどの恐怖を観客に与え、のちのホラー作品に多大なる影響を与えた作品です。
映画『エクソシスト ディレクターズ・カット版』あらすじ
女優のクリス・マクニールは、一人娘のリーガンと、数名の使用人と共に生活していた。
クリスは離婚してはいるものの、生活に支障はない。リーガンも素直な子に育っている。
クリスが出演している映画の撮影も順調に進んでいた。
クリスは、そしてリーガンも、幸せな生活を送っていた。
だが、異変が起きた。
リーガンが卑猥な言葉を吐くようになった。
リーガンの見た目もおぞましく変化していく。
クリスはリーガンを病院に連れていくが、時間をかけた検査の末、医学ではどうにもならないと見放される。
ついにクリスは超自然的な力に頼る。カトリック教会のデミアン・カラス神父に事情を話し、協力を求めた。
初めは半信半疑だったカラス神父だが、調査をし、悪魔祓いを行うことを決意する。
かくして、カラス神父、そして悪魔祓いの経験があるメリン神父の二人が、悪魔と戦うためにリーガンの前に立つ。
映画『エクソシスト ディレクターズ・カット版』感想
映画『エクソシスト ディレクターズ・カット版』のネタバレを含みます。
降りかかる不幸
映画『エクソシスト』では、可愛らしい少女リーガンが悪魔に取り憑かれてしまった。
映画に描かれている限りでは、リーガンはとても良い子のようだった。
決して何か悪いことをしたわけではないのに、リーガンは悪魔に取り憑かれてしまった。
この映画『エクソシスト』の恐ろしいところの一つは、この「何か悪いことをしたわけでもない可愛らしい少女が悪魔に取り憑かれた」ことだと思う。
強いて言えば、「こっくりさん」のようなことをやったようですが、だからと言って幸せそうな少女が悪魔に取り憑かれて豹変する様は、特に神を信じる人々にとっては衝撃的だったことだろう。
映画『エクソシスト』の怖ろしいところは、「誰にだって、不幸は前触れなく降りかかる」というところ。「自分は大丈夫」なんてことは決して無い。
例えば、現実社会でも、不幸は突然やってくる。
道を歩いていただけなのに、飲酒運転の車にはねられた。
頑張って働いていたのに、会社が潰れた。
自分ではどうしようもない理不尽な『不幸』は避けることなどできず、前触れもなく降りかかる。
ですが、映画『エクソシスト』では救いもあった。
悪魔という『不幸』に見舞われたリーガンは、周囲の人達の協力と尽力、そして犠牲により助かった。
「理不尽な『不幸』に見舞われても、助かるんだ」という救いのメッセージが、映画『エクソシスト』には込められていたように思えた。
神なんていない
神がいるとしたら、なぜリーガンは悪魔に取り憑かれなければならなかったのか?
神がいるとしたら、なぜ悪魔を祓うために二人の神父が犠牲にならなければならなかったのか?
リーガンが悪魔に取り憑かれ、映画監督が殺され、二人の神父が犠牲になって、やっと悪魔は祓われた。その間、神は何をしていたのか?
映画『エクソシスト』に神なんていない。祈ったところで助けてなんてくれない。いないのだから。
最終的に悪魔をリーガンから引き離したのはカラス神父だった。カラス神父は、「信仰さえ消えた」と言い放ったカラス神父は、悪魔に取り憑かれたリーガンを殴り飛ばし、自らの身体に悪魔を憑依させ、自ら命を断つことで、悪魔を祓った。どこに神がいた?
神を信じていたメリン神父は悪魔に敗れ、その命を落とした。
もはや神を信じていないカラス神父は、神などに頼らず自ら犠牲となることで、リーガンを救った。
神、つまり、他の誰かにすがってただただ祈りを捧げ続けたところで、助からない。
助かるのは、助かろうとした人だけ。
リーガンは、悪魔に取り憑かれても、助かろうとしてメッセージを送り続けた。結果的に、そのメッセージがカラス神父に届き、悪魔祓いが行われ、リーガンは救われた。
不幸に見舞われたら、悔やんでも、祈りを捧げても、ただそれだけでは助からない。
助かりたいのなら、助かろうと必至にならなければならない。
映画『エクソシスト』には、宗教的な映画でありながら、「本当に助かりたいのなら、神に祈るのではなく、自分で助かろうと行動しなければ駄目なんだ」というメッセージが込められているように思えた。
【本作の原作小説】
【2023年に公開されたシリーズ新作】
【本作】
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