映画『サカサマのパテマ』は、2013年公開、吉浦康裕監督、 藤井ゆきよ、岡本信彦出演によるボーイ・ミーツ・ガール系SFアニメーション。
映画『サカサマのパテマ』あらすじ
地下世界に住む少女『パテマ』。
パテマは行方不明になった『ラゴス』を探すため、一人、立入禁止区内を探索する日々を送っていた。
ある日パテマは、立入禁止区内で天井に立つサカサマの人間に遭遇し、襲われる。
必死に抵抗するパテマは、巨大な穴に落ちてしまう。その穴の先には別の世界が広がっていた。
パテマがたどり着いた別の世界。そこは『アイガ』という世界で、空がある世界だった。そのアイガで、パテマは少年『エイジ』と出会う。
奇妙なことに、アイガでは、パテマが『サカサマ』だった。つまり、パテマは何かに捕まっていないと『空に落ちてしまう』。
エイジは、パテマが空に落ちないように支え、小屋の中へとパテマを連れて行く。
小屋の中で、天井を歩くパテマ。エイジは、ひとまずこの小屋でパテマをかくまうことに決めた。
エイジたちの世界アイガでは、『サカサマ人』は罪人の末裔であり、もしもパテマの存在が知られたら、捕らえられてしまうことをエイジは知っていたから。
映画『サカサマのパテマ』ネタバレ感想
映画『サカサマのパテマ』のネタバレを含みます。
常識とは?
常識というものは何なのだろうか?
エイジたちの世界では『サカサマ人』は『罪人の末裔』と教えられていた。また、空を不浄なものだとも教えている。
だが、この教えは間違っていたと物語の最後で明らかになる。
結局、常識なんてものは絶対の真実などではなく覆される可能性があるのだ。
権力者が自分にとって都合の悪い真実を隠すために、『都合の良い常識』を人々に植え付けているのかもしれない。
もしかしたら、真実の方が残酷なものであるために、人々を守るために『嘘』を『常識』として広めているのかもしれない。
常識なんてものは、見る角度を変えれば変化する。住む国が変われば変化する。同じ国の中でも、人によって解釈が違うことだってあるだろう。
常識とは、かくも曖昧なものなのだ。
異なる常識を持った者同士が出会うと、時に衝突してしまうことも。
互いに「自分が正しい」と一歩も譲らなかった場合、争いに発展してしまうだろう。
衝突しないように、争いにならないようにするには、どうすればよいのだろうか?
互いに相手を理解しようとすること。
自分とは異なる常識を持った人間がいることを認めること。
異なる常識に触れることで、自分の世界が広がっていくことだろう。
なぜ『サカサマのパテマ』は分かりにくい『見せ方』をしたのか?
『サカサマのパテマ』では物語が進むに連れて複数の世界が登場する。
この『複数の世界』の見せ方に賛否両論あるようだ。
「最初に世界の構造を観客に説明しておけば、観客は物語の内容だけに集中できるのに」という意見。もっともな意見だと思う。
私も『サカサマのパテマ』を見ながら「あれ? この世界がこうだから……。だから、こう考えていたけど、本当はこうで……」などと考えてしまい、物語に完全には集中できなかった。
だが、この『見せ方』をすることで、『それまで持っていた認識が覆る』という経験を、監督は観客にさせたかったのではないだろうか?
単に「この世界はこういう世界ですよ」と説明されるより、自分で考えて「あっ」と気づくほうが強く印象に残るもの。
私はこの『サカサマのパテマ』の物語の構成には肯定的で、「よく考えられている」と思っている。
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映画『サカサマのパテマ』の世界について~ネタバレ~
映画を見終わったあと、よく理解できなかったという方もいるかもしれない。
私も、最初はボヤッとしか理解できなくて、「これがこうで、あれがああだから……」などと情報を整理して、やっと理解できた。
盛大なネタバレになってしまうので、この記事ではなく別の記事で『サカサマのパテマ』の世界構造についてまとめた。
なお、映画をまだ見ていない方は、見終わってから以下の記事を読むことを強く勧める。
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