映画『そこのみにて光輝く』は、2014年公開、 佐藤泰志 原作、呉美保 監督、綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也 出演によるラブストーリー。
原作は、佐藤泰志による『そこのみにて光輝く (河出文庫)』
映画『そこのみにて光輝く』あらすじ
職場で起きた死亡事故。責任を感じ、心に傷を負った達夫は仕事を辞め、貯金を食いつぶしながら何をするでもなく生きていた。
ある日、達夫は拓児という調子のよい男と出会い、家に連れていかれる。そこは吹けば飛んでしまいそうなバラック小屋。
拓児の家族は、父は脳梗塞の後遺症で寝たきり、母はつきっきりで介護、そして、姉の千夏は水商売で家族を支えていた。
達夫は次第に千夏に惹かれてゆく。
だが千夏は、他人に話せない暗い影を背負っていた。
映画『そこのみにて光輝く』ネタバレ感想
映画『そこのみにて光輝く』のネタバレを含みます。
男が負った心の傷
達夫は、仕事での事故で人が亡くなってしまったことを自分の責任と考えていた。
実際のところ、誰のミスかと言えば、亡くなった作業員のミスだったのではないかと思うが、達夫は「急げ」と指示してしまったことでミスが起こり、作業員が亡くなったと考えていた。
自分のミスで人が死んでしまった、しかも、ボロボロになった死体を、その顔を見てしまった。これは相当な傷を心に刻み込んでしまったことだろう。
この事故がきっかけで達夫は仕事を辞め、貯金を食いつぶしながら、自堕落な生活を送っていた。あれだけのことがあったのだ。何もかもから逃げたくなる気持ちもわかる。
だが、おそらく達夫本人も、このままではいけないと思っていたのではないだろうか。破れかぶれになっていたのなら、職場の先輩だった松本など追い返しているだろうし、妹からの手紙に目を通すこともないだろう。
ただ、前を向こうとしても、事故の記憶に打ちのめされてしまう。立ち直るためには、時間ときっかけが必要だったのだろう。
家族という呪縛
千夏の家族は、脳梗塞でほぼ寝たきり状態の父、つきっきりで介護する母、暴力事件で仮釈放中の弟。
文字通り身体を売りながらお金を稼ぐ理由は、家族を支えるため。
なぜそこまでするのか。理由は『家族だから』。
家族というものは素晴らしい。お互いに支えあい、助け合うもの。まともに機能している家族であれば、ともに歩み、幸せを紡いでゆく存在だろう。
だが、千夏の家族はもうまともに機能していない。家族は重荷となり、千夏が家族を一人で支えていると言ってもいいだろう。『家族』という存在は、千夏にとってはもはや呪い、呪縛でしかなかったのではないだろうか。
それでも千夏が家族を捨てなかったのは、もしかしたら一人になってしまうのが恐かったのかもしれない、もしかしたら家族思い過ぎたのかもしれない。
どん底まで堕ち、そこからなお堕ちてゆく千夏。家族というものは、それほどまでに強く結ばれ、それほどまでに重い存在なのだろう。
人質
千夏が中島との関係を続けていた理由。もちろん、お金が必要だということもあるだろうが、最も大きな理由は、弟の拓児の存在だろう。
中島は拓児の面倒を見ていた。どうやら身元引受人か何かの、拓児の未来を左右できる立場にあるようだ。
千夏は、中島に拓児を人質に取られていたようなものだろう。言うことを聞かなければ弟がどうなるか分かっているのか、と。
ここでもやはり、家族という存在が千夏を縛り付ける。拓児が赤の他人なら、千夏は中島の言うことなど聞かなかっただろう。だが、拓児は弟だ。放っておくわけにはいかない。家族だから。
光輝ける場所
達夫にとって、千夏との出会いは、前を向いて再び歩き出すきっかけ。
酷いなどという言葉では言い表せないほど過酷な人生を強いられている千夏と出会い、恋をした。そして愛した人を助けたい、幸せにしたい、家族になりたいと願った。
千夏にとって、達夫という存在は、もうどうしようもなく堕ちてしまった、今なお堕ち続けている自分を愛してくれた人。
家族のこと、中島とのこと、そのようなことをすべて知ったうえで、それでも自分を愛してくれる達夫は、千夏にとってどれだけ心強い大きな存在だったのだろう。
本作は、朝日に照らされる砂浜で、達夫と千夏が見つめあうシーンで終わる。
達夫と千夏。二人にとってお互いの存在は光であり、そしてお互いがいるからこそ輝ける。
たとえ今がどれだけどん底でも、たった一人の存在が光を与えてくれる。そしてその時、自分もまた相手にとって光であるのかもしれない。
【『そこのみにて光輝く』原作小説】
【本作】
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