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【ドラマ】ロア~奇妙な伝説~シーズン2 2.エリザベート・バートリ:鏡よ、鏡~あらすじと感想~

ドラマ『ロア~奇妙な伝説~シーズン2 2. エリザベート・バートリ: 鏡よ、鏡』あらすじと感想

ドラマ『ロア~奇妙な伝説~シーズン2 2.エリザベート・バートリ:鏡よ、鏡』はホラー系の海外ドラマ。

ドラマ『ロア~奇妙な伝説~シーズン2 2.エリザベート・バートリ:鏡よ、鏡』 あらすじ

1609年、ハンガリー王国。

エリザベート・バートリの夫は黒騎士とも呼ばれる英雄であったが、病で亡くなった。エリザベートは今、広大な城の中、召使いたちと共に生活していた。

エリザベートが住む城に、一人の美しい娘が訪れる。

名はマーギット。貴族の娘であるが、末っ子であり、エリザベートに仕えるために城に来たのだった。

マーギットは、エリザベートが歳を重ねても美しいままでいること、そしてその立ち居振る舞いに憧れを抱く。

だが同時に、奇妙なことに気付く。

召使いたちの身体に傷が目立つのだ。

夜、マーギットは奇妙な音を聞く。

その音は、まるで人が助けを求める叫び声のようだった。

ドラマ『ロア~奇妙な伝説~シーズン2 2.エリザベート・バートリ:鏡よ、鏡』 感想

ドラマ『ロア~奇妙な伝説~シーズン2 2.エリザベート・バートリ:鏡よ、鏡』のネタバレを含みます。

欲望を満たすために

エリザベートが若い女性たちから血を抜き取っていたのは、自分がいつまでも若く美しくいたいから。

女性も男性も、若く美しいままでいたいという気持ちは誰だって持っているだろう。

その気持が強すぎたために、エリザベートは狂ってしまった。

欲望は人を狂わせる。エリザベートほどの狂い方ではなくても、誰だって「何でこんなことをしちゃったんだろう」と思うことの一つや二つはあるのではないだろうか。

さらに、エリザベートの場合、どうやら生まれた家も関係しているようだ。

エリザベートの家系は、少々おかしな人間が多かったようだ(Wikipedia『バートリ家』のページ)。

例えば、悪魔崇拝者の叔父や色情狂と噂される兄弟など。

そしてエリザベート本人も、幼い頃から感情の起伏が激しかったそう。

バートリ家におかしな人間が多かったのは、近親婚を繰り返していたからだと言われている。

広大な土地や莫大な財産を守るために繰り返された近親婚。

その結果、遺伝子レベルで狂ってしまったのだと考えられる。

エリザベートは生まれながらにしてその身に狂気を宿し、そこにさらに欲望が強く芽生えてしまった。

そのために、エリザベートは数十人とも数百人とも言われる娘たちを殺したのだろう。

誰を信用するか

不幸にもエリザベートの餌食になってしまったマーギット。

だが、逃げるチャンスはあった。

エイヴァがマーギットを逃がそうと導いていた時、マーギットはエイヴァに不信感を抱き、エイヴァから逃げてしまった。

そして逃げた先にはエリザベートが。

エイヴァは、エリザベートがやっていたことを全て知っていた。

知っていながらマーギットをエリザベートの城に招いたのだ。

マーギットがエイヴァに不信感を抱くのは当然のこと。

マーギットは、もしかしたら、エイヴァにまた騙されると思ったのかもしれない。

そうではなく、マーギットは、エリザベートを説得しようとしたのかもしれない。

もしもあの状況で、マーギットがエイヴァを信じ、城から逃げ出し、貴族という身分を使って世に訴えていたら……。

現実には、マーギットはエイヴァから逃げ、エリザベートに捕まり、その体から血を搾り取られてしまった。

マーギットの行動は「愚か」と言えるだろうか?

自分を騙し、拷問に加担していた相手(エイヴァ)を、そう簡単に信じられるものだろうか?

自分を騙した人間が「あなたを助けたい。逃げて訴えてほしい」とどれだけ言ったところで、「また自分を騙そうとしているのかも」と思ってしまうのは当然のことではないだろうか?

マーギットにとってエイヴァは信用できない人間。

信用できない人間が何を言ったところでマーギットの心に響くはずがなく。

結局、マーギットもエイヴァも悲惨な最期を遂げることになってしまった。

貴族だから

捕らえられたエリザベートは、あれだけのことをしておきながら死刑にはならなかった。

調べてみると、共犯の(手伝わされていた)召使いたちは死刑に処されたそうだ。

エリザベートが死刑にならなかった理由は「貴族だから」。

幽閉されたエリザベートは、その後も三年半もの間、生き延びたそう。

「貴族だから」死刑にされず、「貴族ではないから」死刑にされる。

このドラマ『ロア~奇妙な伝説~シーズン2 2.エリザベート・バートリ:鏡よ、鏡』で、エリザベートが言っていた。

「貴族の娘には村の娘10人分の価値がある」

貴族の人間と、貴族ではない人間とでは、同じ人間ではあっても『価値』が違っていたのだ。

そしてこの「価値が違う」という考え方は、当然のように社会に受け入れられていたようなのだ。

現在なら、どうだろうか?

結局のところ、公には「貴族と平民」のような階級の違いは無くなったが、人々の意識の部分では何も変わっていないのではないだろうか?

人の上に立ちたい、特別になりたい。

その意識が意欲や向上心といった良い方向に働いてくれれば良いのだが、他人を見下し嘲笑するようになってしまっては、誰からも尊敬を得られないだろう。

エリザベートが裁かれた時代ほどあからさまではないにせよ、階級や身分といった意識は無くならないのかもしれない。

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