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【アニメ】serial experiments lain~あらすじと感想~現実の私と仮想現実の私はどちらが本物?

アニメ『serial experiments lain』あらすじと感想

アニメ『serial experiments lain』は、1998年公開、中村隆太郎監督、清水香里出演によるSF最古ホラー作品。

アニメ『serial experiments lain』あらすじ

『ワイヤード』と呼ばれる仮想現実が普及している世界。

中学生の岩倉玲音(いわくら れいん)もワイヤードにハマっていた。

ある日、玲音の元に一通のメールが届く。

メールの差出人は、四方田千砂(よもだ ちさ)。すでに自殺して、この世にいないはずの人物だった。

その日から、玲音はワイヤードの世界にのめり込んでいく。

ワイヤードの世界に深く入り込んでいくにつれ、玲音の周りでは、現実と仮想現実との区別が曖昧になっていく。

現実世界にいるにもかかわらず、玲音は「そこに無いもの」「見えるはずのないもの」を見るようになる。

ある日、玲音が行った覚えのない場所で玲音を見かけたと友人に言われる。

現実に、肉体を持って存在する玲音。

仮想世界に存在する玲音。

はたして、『存在』とは何なのか? 『私』とは何なのか?

『玲音』とは一体何者なのだろうか?

アニメ『serial experiments lain』ネタバレ感想

アニメ『serial experiments lain』のネタバレを含みます。

自分とは何なのか?

『自分』とは一体何なのでだろうか?

例えば、私『あゆき』を例にして考えてみる。

私の記憶にある『あゆき』、友人Aの記憶にある『あゆき』、よく行くコンビニの店員さんの記憶にある『あゆき』。

これらの『あゆき』は一つとして全く同じものはなく、すべて異なる『あゆき』だ。

もしかしたら、友人Aは『あゆき』を嫌っているかもしれない。そうだとすると、友人Aの記憶している『あゆき』はきっと『嫌なヤツ』だろう。

コンビニ定員さんにとっての『あゆき』は『よく来る客の一人』だろう。

その他にも、『あゆき』のことを「好き」「気持ち悪い」「面白い」「つまらない」など、さまざまな異なる認識をしている人々が存在するかもしれない。

『あゆき』を記憶している人の数だけ『あゆき』は存在する。

つまり、『私』という存在は唯一無二の存在ではなく、『私』を記憶している人の数だけ異なる『私』が存在するということ。

そんな『私』の中のどれが本当の『私』なのか?

「『私』が認識し記憶している『私』が本当の『私』だ」そう言い切れるだろうか?

人間は他人と繋がりながら生きている。

他人から認識されて初めて存在していると言える。

この世の誰からも認識されなければ、この世に存在していないのと同じ。

この世に存在するためには他人から認識される必要がある。

『私』という存在は『私を認識する他人』の数だけ存在する。

つまり、『私』は唯一無二の存在などではなく、いくつもの異なる『私』が存在することになり、そのそれぞれが『私』である。

もしかしたら、『私』がいないところで、『私』を記憶している人々が、『私』という存在を勝手に作り上げているかもしれない。

『勝手に作り上げられた私』はとんでもないモンスターかもしれない。

そして、その『モンスター』が『私』として世の中に認識されてしまうかもしれない。

その時、『私』という存在は、『私』の意思や、好むか好まないかに関わらず、『モンスター』となってしまうのだろう。

この後、どうなるのか?

物語が終了したあとの世界では、玲音はどうなっていくのだろう?

そもそも、玲音という存在はもともと人間ではなかったのだから、本来あるべき姿に戻ったのかもしれない。

これから先も、玲音はネットワーク上に存在し続け、現実世界に干渉を続けるのかもしれない。

人間の記憶を操り、その気になれば生死すらも操れる玲音。

その存在は、ある種の神と言えるのかもしれない。

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