映画『ザ・ウォーカー』は、2010年公開、アルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ監督、デンゼル・ワシントン、ゲイリー・オールドマン出演によるアクション映画。
映画『ザ・ウォーカー』あらすじ
戦争により荒廃した世界。
一人の男が歩いて旅をしていた。
男が向かう先は、西。
追い剥ぎなど当たり前のように出没する危険な世界で、男には旅を続ける理由があった。
「この世に一冊だけ残ったある本を運ぶこと」
男は心の声に導かれるまま、一冊の本を運んでいたのだ。
旅の途中、男は街に辿り着く。
その街の独裁者は長年あるものを探し続けていた。
一冊の本。
旅する男が運んでいる本が独裁者の探し求めていた本だと判明し、独裁者は男から本を奪おうとする。
だが、男は神がかり的な力を発揮し、独裁者の手下たちを倒していく。
男は街を脱出するも、独裁者から追われることになってしまった。
映画『ザ・ウォーカー』感想
映画『ザ・ウォーカー』のネタバレを含みます。
この命をかけてでも
ザ・ウォーカーことイーライは、人生をかけて旅をしていた。
一冊の本を運ぶ旅。
西へ、西へと命がけ。
車を運転しなかったのは盲目だったからだろう。
目が見えない状態で、たった一人で、危険な世界を旅する。よほどの決意がないとできないことだ。
心の声に導かれた、と言うが、この心の声とは神のお告げ的なものだったのだろう。
イーライがもともと信心深かったのかは語られていない。
だが少なくとも、聖書を暗記するほど読むうちに、信心を深めていったのではないかと思う。
神の声に導かれての旅。さながら巡礼者のようなものだろうか。
己の信心に従い、神の声に導かれ、西へと旅する男。
傍から見たらなぜ命までかけて旅をするのか理解できないかもしれないが、男にとっては何ら疑問もない当たり前の行為だったのだろう。
人を導く本
イーライが運んでいた本には人を導く力があると言われていた。
確かに、聖書に書かれた言葉にキリスト教徒は導かれているようだ。
ただし、聖書は聖書としてそこにあるだけで、それをどう解釈するかは人それぞれ。
聖書の解釈をめぐって争いが起きたことなど一度や二度の騒ぎではない。
もしも『ザ・ウォーカー』に登場したカーネギーのような男が宣教師のように布教を始めたら、聖書は独裁の道具に使われることだろう。
聖書に限らず、道具や権力といったものは使う人次第で良いものにも悪いものにもなる。
イーライはカーネギーから本を渡せと言われ、断った。
イーライはカーネギーが聖書を悪用すると見抜いていたのだろう。
この男には渡してはいけないと。
神がかり的
イーライは神がかっていた。
例えば町中でカーネギーの手下たちと戦ったシーン。
あれだけ撃たれていたのに一発もイーライには当たらなかった。
また、本を奪われた時、腹を撃たれたイーライは、その後もずいぶんと長い間、生き続けていた。
理屈で考えてはいけないのだろう。イーライは神に導かれていたのだ。
本当に信頼できる人のもとまで聖書を届けること。それをやり遂げるまで、イーライには神が力を貸していたのだろう。
東へ
イーライの旅が終わり、物語はソラーラが東に向けて旅立つところで終わる。
ソラーラの旅の目的は、おそらく、母親を救うことだろう。
そして、もしかしたら、イーライが運んでいた点字の聖書を取り返すことかもしれない。
ソラーラは、あのままアルカトラズ島で安全に生活することもできた。
安全な生活を捨て、危険な旅に身を投じた理由は、母親への愛、そしてイーライの意思を継ぐため。
はたして、ソラーラがどのような運命をたどるのかはわからない。
ただ、東へと旅を始めたソラーラは、もう暴漢に襲われて何もできずに泣き叫んでいた頃とは別人になっていることだろう。
イーライとの短い旅を通じてソラーラは成長したはず。
イーライの長い旅。
聖書を運び届け、一人の少女を強く成長させた旅。
イーライがこの旅で成し遂げたことは、荒廃した世界を変えるほどの大きなことだったのだろう。