映画『大統領の執事の涙』は、2013年公開。監督はリー・ダニエルズ。出演はフォレスト・ウィテカー、オプラ・ウィンフリー。
事実をもとにした物語です。
映画『大統領の執事の涙』あらすじ
セシルは奴隷の子としてこの世に生を受けた。
幼少時代、セシルは眼前で父親を白人に殺された。セシルの母親は精神をやられてしまった。
まだ奴隷制度が合法であった時代。少年セシルは単身で街へと逃げ出した。
腹をすかせたセシルは、とある飲食店に食料を求めて泥棒に入ってしまう。そこで出会った黒人男性に救われ、給仕として働き始めた。
実直に働き続けるセシル。やがて、セシルの真摯な姿勢が評価され、高級ホテルに、そしてついにはホワイトハウスにスカウトされる。
公民権運動、ベトナム戦争、米国初の黒人大統領。激動する歴史をホワイトハウスで働く執事としてセシルは見守り続ける。
一方、セシルの息子たちは、一人は公民権運動に身を投じ、一人はベトナム戦争に身を投じていく。
激動の時代を生きた一人の男と、その家族の絆の物語。
映画『大統領の執事の涙』感想
映画『大統領の執事の涙』のネタバレを含みます。
二つの顔
「白人用の顔と自分の顔を持て」と教えられたセシル。
白人に給仕するときは、自分を殺し、存在を消し、決して自分の意見を言わない。
二つの顔を使い分けることは、まだ黒人への差別意識が強く残る時代に、黒人が白人社会で生きていくための処世術だったのだろう。
セシルは教えられた通りに二つの顔を使い分け、実直に仕事をし、ついにはホワイトハウスの執事にまで上り詰めた。
二つの顔を使い分けることは、現代の私達もやっていることではないだろうか?
仕事の顔と家庭の顔。友人と一緒にいる時の顔と恋人と一緒にいる時の顔。『二つの顔』と言わず、いくつもの顔を使い分けている人もいるのでは?
その場にあった『顔』を使い分けること。決して「その場にあった『嘘』をつけ」という意味ではなく、気を緩めても良い場所、気を引き締めるべき場所の区別をはっきりさせて振る舞う、ということだろう。
映画『大統領の執事の涙』のセシルも、同僚たちと談笑しているときはだらしなさそうな面を見せていたが、いざ仕事となれば人が変わったように実直になった。
二つの顔を使い分け、あるべき場所であるべき振る舞いをしたこと、そしてもちろん実直であったことが、セシルが成功した大きな理由だったのだろう。
視点が変われば
長年、執事として働いてきたセシル。
ある日突然、パーティーに客として呼ばれ、初めて『客の視点』から自分の職場を見たセシル。
その時、セシルは『白人向けの顔』をしている仲間たちを、『白人の側から』初めて見た。
セシルは、白人向けの顔をして執事を続けることで、自分と家族の生活を支えてきた。誇りを持ってよいはずだ。
だが、セシルは違和感を感じてしまう。
結局、セシルと『奴隷』は何が違うのだろう。白人社会で生きるために『白人向けの顔』をして白人に仕える。『奴隷』ではない。だが、セシルの心は奴隷のままではなかったか?
理解し合う父と息子
白人社会で生きるために白人に仕えたセシル。
黒人の人権を本当の意味で取り戻すために戦った息子ルイス。
セシルは晩餐会に出席した時に、ルイスの考えを理解し始めた。
ルイスも、キング牧師の言葉で、白人に仕える黒人執事は戦士なんだと気付く。
結局の所、方法は違ったが、セシルもルイスも黒人の人権や権利などを取り戻すために戦っていたのだ。
ただ、方法があまりにも違いすぎただけ。
ルイスの考えを理解し始めたセシルは、ルイスと共にデモに参加し、そして収監された。
ほんの少しだけだったが、ルイスがやってきたことを身をもって体験したセシル。
父親であるセシルが自分と同じ場所で、自分と同じ視点で運動に参加してくれたことは、息子ルイスにとってどれだけ嬉しかったことだろう。
セシルもルイスも、根本ではずっと同じ考えを持っていたはず。黒人の権利回復を求め続けていたはず。
時間はかかってしまったが、理解し合えた父と息子の絆は、もう揺らぐことすら無いほど強固なものになったのではないだろうか?
【本作】
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