映画『ゼロ・ダーク・サーティ』は、2012年公開、キャスリン・ビグロー監督、ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラーク出演によるサスペンス作品。
映画『ゼロ・ダーク・サーティ』あらすじ
CIA分析官のマヤは、2003年にパキスタン支局へと配属された。
その使命は、テロに関する情報を収集し、テロを未然に防ぎ、最終的にビン・ラディンの居場所を突き止めること。
マヤがパキスタン支局に配属されたちょうどその時、アメリカ同時多発テロで資金調達をしていたとされる男の拷問が行われていた。
その男への拷問、さらに他の情報から分析を進めるマヤたちCIA分析官。
だが、ビン・ラディンの居場所について確信を得られるほどの情報は手に入っていなかった。
そんな中、世界中でテロが頻発する。
テロの阻止を優先するCIA支局長。一方、マヤはビン・ラディンの居場所を突き止めることが最優先だと考え、意見は対立する。
先が見えない中、マヤはついに、パキスタンのアボッターバードにある屋敷にビン・ラディンがいると確信する。
映画『ゼロ・ダーク・サーティ』感想
映画『ゼロ・ダーク・サーティ』のネタバレを含みます。
この世界に逃げ場など無い
『ゼロ・ダーク・サーティ』は2012年の映画。
また、ビン・ラディンが殺害されたのが2011年。
ということは、『ゼロ・ダーク・サーティ』で使われた技術は、今ではもう古いものとなっている可能性がある。
つまり、今はもっと高度な技術が使われている可能性が高いと言える。
2011年時点の技術で、たった一軒の家を衛星を使って監視して、そこに住んでいる人が何人いて、性別や大人か子供かまで知ることができたのだから、今はもっと簡単に分析できるのではないだろうか。
と、こんなことを書くと、「私の私生活も覗かれているの?」と考える方もいるかもしれない。。
私の考えは、国民の私生活を覗くことに意味はない、だ。
国民一人一人の生活を監視するほど大規模なことをやろうとすれば、空は人工衛星で埋め尽くされるだろう。
また、データを分析するために膨大な分析官や分析装置などが必要になるので、とても現実的ではない。
そして、そこまでして何の罪も疑いもない国民を監視する意味があるのだろうか。
高い分析技術は犯罪者を追い詰めるためのもの。
『ゼロ・ダーク・サーティ』でビン・ラディンを追い詰めていく様を観ていて、恐ろしいと思った反面、心強くもあった。
正義とはなにか? 彼女はどこへ行くのか?
ビン・ラディンの遺体を確認した後、マヤは「どこへ行くんだい」と問われ、涙を流す。
あの涙の意味は何だったのだろうか。
とても、勝利の涙には見えなかった。
テロ組織のトップであるビン・ラディンを殺害した。それが何の意味を持つのだろう。
イスラム教圏ではアメリカに対する憎しみが広がり、ビン・ラディン殺害後もテロは続いている。
結局、マヤがやったことは、9.11の報復でしかなく、根本的な解決には程遠い。
かと言って、9.11のあと、何の報復もせずにいたらアメリカ人の怒りは収まらなかっただろう。
やられたからやり返す。殺されたから殺し返す。
それを繰り返すだけでは何の解決にもならないことは、恐らく誰もが分かっているはず。
分かっていても、もう止められないのかもしれない。
武器を捨て、対話で解決することができれば最も良いのだろう。
だが、もうすでに、どちらか(あるいは両方)が全滅するまで殺し合わなければ解決しないところまで来てしまっているのかもしれない。
どこまでが事実なのか
そもそも、『ゼロ・ダーク・サーティ』はどこまでが事実なのだろう。
ネットで情報を集めてみると、2011年にアメリカがビン・ラディンを殺害したという事実そのものが嘘だという意見もある。
アメリカが殺害する前に、ビン・ラディンはすでに死んでいたという意見もある。
『ゼロ・ダーク・サーティ』は、アメリカ国家が、CIAが、ハリウッドに作らせたプロパガンダ映画だという意見もある。
現時点では、『ゼロ・ダーク・サーティ』で描かれたことをどこまで信用してよいのかは分からない。
ただし、もしも根本から全てがフィクションだったとしても、監督が伝えたかったことは重く受け止めるべきではないだろうか。
復讐、暴力、殺し合い。
そんなことを続けたところで、真の解決には程遠く、火に油を注ぐだけ。
もう解決できないところまで来てしまっているのかもしれないが、『ゼロ・ダーク・サーティ』に込められたメッセージは、一人一人が真剣に考えなければならないことではないだろうか。