映画『ザリガニの鳴くところ』は、2022年公開、オリヴィア・ニューマン監督、 デイジー・エドガー=ジョーンズ、テイラー・ジョン・スミス、ハリス・ディキンソン、マイケル・ハイアット出演によるラブストーリー。
原作は、ディーリア・オーウェンズ『ザリガニの鳴くところ』
映画『ザリガニの鳴くところ』あらすじ
1969年。湿地帯で一体の死体が発見された。身元は、街の有力者の息子チェイス。
容疑者として逮捕されたのは、その湿地で暮らす女性カイア。
カイアは幼いころから湿地で暮らし、街の人々からは『湿地の娘』と呼ばれ、偏見を持たれていた。
カイアとチェイスは何度も会っていることが知られていた。街の人々はカイアがチェイスを殺したと思っているが、証拠がない。
果たして、事件の真相は?
チェイスが死体となって発見されるまでに何があったのか?
映画『ザリガニの鳴くところ』ネタバレ感想
映画『ザリガニの鳴くところ』のネタバレを含みます。
外れた者への偏見
カイアは街の人々の外側で生きていた。地理的にはもちろん、心理的にも、常識的にも、人々の外側で生きてきた。
カイアはきっと、湿地でただ静かに暮らしたかっただけ。だが周囲の人々は勝手にカイアに注目し、勝手に『湿地の娘』というレッテルを貼り、勝手に異常なものと決めつけた。
カイアもまた、自分が街の人々からどう思われ、どう見られているか気づいていたから、街の人々から距離をとった。
カイアも、街の人々も、どちらもお互いに歩み寄って理解しようとしなかったのだから、その距離も、偏見も、埋まるはずがない。
互いを理解すること
カイアにも理解者がいた。
雑貨屋の夫妻はカイアにとって最大の理解者だっただろう。
夫妻はカイアがまだ幼いころからカイアのことを気に留め、だからといってカイアの生活に踏み込むことなく、カイアを支えていた。
カイアも、支えてくれる夫妻のことを心から信頼していたと思う。
互いを尊重するという姿勢で接することができれば、あの街の人々とカイアとの関係ももっと良いものになっていたかもしれない。
案外、この世の中に存在する人間関係における問題なんてものは、偏見や勘違いの積み重ねであるのかもしれない。
だが、中には理解者のふりをして相手を利用しようとする者もいるだろう。
捕食者と獲物
この世の人間は、二つのタイプに分けられるのかもしれない。捕食者と獲物だ。
チェイスのように、力で他人を従わせようとする者。
カイアのように、強い力を持たず、力を持つ者に狙われる者。
本作『ザリガニの鳴くところ』では、こんなセリフがあった。
「あいつらは、やり返さないと気が済まない」
捕食者たちはあきらめない。泣き寝入りなどしない。やられたらやり返す。自分が勝って、自分が相手を支配して終わらないと気が済まない。
カイアは、捕食者たちの、チェイスの、そのような性質を利用したのかもしれない。
事件の真相
法廷では、カイアは無実となった。だが、物語の最後で明らかになる真実は、カイアがチェイスを殺したことを示唆していた。
おそらく、検察の推理が正しかったのだろう。
あの日、カイアは何らかの方法でチェイスを火の見やぐらに呼び出した。夜中。明かりの無い状態では、踏み出した先に床が無いことに気付かなかったのだろう。
チェイスはなす術もなく落下した。
獲物も時には反撃する。
カイアはおそらく、このままでは自分の身が、命が危険だと思ったのだろう。だから、己の身を守るためにチェイスを消すことにした。
殺人は許されることではない。他に何か方法があったかもしれない。
だが、権力を持つチェイスに対し、街中の人々から偏見の目で見られているカイアに何ができただろう?
ザリガニの鳴くところ。カイアにとって、あの湿地は、自分が捕食者に襲われたときに逃げ込める場所。
獲物カイアは熟知している湿地で、捕食者チェイスと戦ったのだろう。
自分の命を、世界を、未来を守るために。
【原作小説】
【本作】
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