映画『EX MACHINA-APPLESEED SAGA-(エクスマキナ)』は2007年公開のSFアクション作品。原作は士郎正宗。監督は荒牧伸志。声優は小林愛、山寺宏一、岸祐二、沢城みゆき。3Dアニメーション作品。
映画『EX MACHINA-APPLESEED SAGA-(エクスマキナ)』あらすじ
デュナンとブリアレオスはESWATに所属し、コンビとして、そして恋人として共に過ごしていた。
ある任務中、ブリアレオスはデュナンをかばって重症を負ってしまう。
一命をとりとめたものの入院生活を余儀なくされたブリアレオスの代わりに、テレウスというバイオロイドがデュナンのパートナーに任命される。
テレウスはブリアレオスの遺伝子から作られた創られたバイオロイド。ブリアレオスがまだ生身の肉体を持っていた頃と見た目や仕草などがそっくりだった。
テレウスの存在に戸惑うデュナンは、テレウスをパートナーとして認めることができない。
同じ頃、オリュンポスで国際会議が開かれる。
その会議中、大規模なテロが発生する。
そのテロでは、一般人がまるでゾンビのように破壊活動を行っていた。
映画『EX MACHINA-APPLESEED SAGA-(エクスマキナ)』感想
映画『EX MACHINA-APPLESEED SAGA-(エクスマキナ)』のネタバレを含みます。
個体差が争いの元なのか?
映画『EX MACHINA-APPLESEED SAGA-(エクスマキナ)』では、ハルコンが目指したものは、世界中の生物が一つの意識体となること。
そもそも争いとは、個体差があるから発生するもの。個体差が無くなり、すべての生物が完全に同じ一つになれば、争いも発生しない。
確かに、この考え方には一理ある。個体差が無くなり、一つの存在になれば、そもそも争いを起こそうともしないだろう。
では、個体差のない世界は理想郷なのかと言えば、そうではないだろう。
個体差があるからこそ、人は成長する。
個体差があるからこそ、人は他人に惹かれ、憧れ、愛し合う。
全ての存在が一つになった世界では、成長が止まり、そしておそらく、誰も他人に興味を持たなくなってしまうのではないだろうか? そもそも、他人という概念も無くなっているかもしれない。
個体差が争いの元である。この考え方は一理ある。
だが、個体差が無くなれば、世界は理想郷どころか、全く同じOSをインストールされた量産型アンドロイドのような生物のみが存在する、面白みも何もない世界になってしまうのではないだろうか。
共存・共栄
人間、サイボーグ、バイオロイド。映画『EX MACHINA-APPLESEED SAGA-(エクスマキナ)』の中では、この三者が共存していた。
おそらく、この三者の中では人間が最も他の二者を受け入れられずにいるように思えた。
自分とは異なる者との共存。
同じ種族、同じ人種でも共存は難しく、時には家族であってもいがみ合うことがある。
ましてや、人間と、人間ですら無いサイボーグやバイオロイドとの共存となれば、受け入れられない人間がいることも想像に難くない。
映画『EX MACHINA-APPLESEED SAGA-(エクスマキナ)』では、人間のデュナン、サイボーグのブリアレオス、バイオロイドのテレウスが共に戦い、共に未来を勝ち取った。
異なる者との共存は抵抗があるかもしれない。ましてや、人間は、自分たちが作ったものに自分たちが追い抜かれ、支配されるかもしれないと考えれば、受け入れられないのも当然かもしれない。
だが、自分たちに無い能力を持った存在との共存・共栄は、結果的に、自分たちの能力や生活を向上させてくれるものではないだろうか?
自分たちとは異なるものをただ拒絶するのではなく、共に生き、共に成長してくことで、さらなる進化を遂げることができることだろう。