【映画】ガラスの花と壊す世界~あらすじと感想~仮想世界を守る二人の少女と謎の少女

映画『ガラスの花と壊す世界』あらすじと感想
あゆき
あゆき

今日は『ガラスの花と壊す世界』というSFアニメーション映画のあらすじと感想を書いていくよ

あるふぁ
あるふぁ

舞台は仮想世界で、主人公は少女の姿をしたアンチウィルスソフトで、その仮想世界に謎の少女が現れて……

あゆき
あゆき

Amazonプライムビデオでお勧めされてて、絵が綺麗で上映時間が短かったから観てみたんだけど、なんか、自分と重ね合わせて観ちゃったよ

あるふぁ
あるふぁ

自分らしく生きるために、たまには世界を壊さないとね

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映画『ガラスの花と壊す世界』基本情報とあらすじ

まずは『ガラスの花と壊す世界』の予告編ムービーをご覧ください。

タイトルガラスの花と壊す世界
ジャンルSF
原作者Physics Point
監督石浜真史
キャスト

花守ゆみり
種田梨沙
佐倉綾音
茅野愛衣

公開年2016年
原作D.backup―最後の意志を亡きセカイへ―(ポニーキャニオン)
備考

『ガラスの花と壊す世界』公式サイト

ウィキペディア『ガラスの花と壊す世界』ページ

あらすじ

デュアルとドロシーは、少女の姿をしたアンチウイルスソフト。

二人は『知識の箱』と呼ばれる、現実世界を元に作り出された仮想世界を守っていた。

『知識の箱』には、自然や町並みはもちろんのこと、その時代、その場所に存在した人間も再現していた。

だが時に『ウイルス』が発生してしまうため、ディアルとドロシーの二人はウイルスを消去するために戦っていた。

その日も、二人はウイルスを感知した。

ウイルスの発生現場に行ってみると、そこにはウイルスに襲われる一人の少女の姿があった。

二人はウイルスを消去し、少女を救う。

少女は意識を失っていたが、やがて目を覚まし、自らを「リモ」と名乗った。

自らが何者かもわからないリモ。

ウイルスではないことは確かであったため、三人は共同生活を始める。

リモとの生活は楽しいものであったが、この出会いはディアルとドロシーの運命を大きく変える出来事へと繋がっていく。

映画『ガラスの花と壊す世界』感想

あゆき
あゆき

ネタバレを含みます

変化しない存在

ディアルとドロシーはプログラムされた通りに仕事をするだけの存在。

知識の箱に発生したウイルスを消去するためだけに存在していました。

自らの仕事に何の疑問も持たず、ただプログラム通りに動くその姿に、私はかつての自分を重ねてしまいました。

会社に通勤し、指示されたことをやるだけの自分。

今にして思えば、あのときの私はコンピュータプログラムと大して変わらなかったのかなと思います。

まあ、たまに失敗したり、仕事が続くと疲れたり、心を病んだりする分、私はかなりできの悪いプログラムだったのでしょう。

映画『ガラスの花と壊す世界』のディアルとドロシーは、初めはただ同じことを繰り返しながら過ごしていましたが、リモとの出会いで変化し始めます。

不変で美しいもの

リモと出会い、共に過ごすディアルとドロシーの二人。

リモの正体は初めは謎でしたが、次第に分かってきます。

ガラスの花を集める存在。変わらない美しいものを集める存在。

変化を望まず、美しいものだけで構成された世界を望んだmotherにより、リモはその不変で美しいものの象徴であるガラスの花を集めていたのでした。

では、ディアルとドロシーは何なのか?

ディアルとドロシーは、人類が滅亡した後、motherによってアップデートを施されていました。

二人は人間によってアップデートされていると思いこんでいましたが、二人はmotherによってmotherの理想形に作り変えられていたのです。

映画終盤の戦いの中、二人は自らを初期化して、motherによって変化させられる前の状態に戻りました。

つまり、映画の最初に登場した二人は『motherが考える理想的な少女』であって、『不変で美しい存在』だったのです。

変化する存在へ

リモは自らをウイルスとしてディアルとドロシーに認識させました。

アンチウイルスソフトであるディアルとドロシーは、ウイルスであるリモを消去しなければならず、実際に消去しました。

これによりディアルとドロシーは自ら考え、変化する存在になったのでした。

さて、また私の話で恐縮ですが、私は会社勤めができるような人間ではなく、ただひたすらに苦しいだけで、更には周りにも迷惑をかけていました(良い歯車にはなれなかったのです)。

結局、私は会社をやめて、フリーランスとして独立して、収入は不安定ながらも気楽に過ごしています。

ディアルとドロシー、そして私。似ているところがあるような気がします。

何の疑問も持たず、motherからのアップデートを受け入れて、プログラムされた通りの仕事をしていたディアルとドロシー。

会社から与えられた仕事をただひたすらにこなしていたかつての私。

ディアルとドロシーは自らの意思で自分たちを初期化することで自由になりました。

私は、自らの意思で会社をやめてフリーランスになることで、少なくとも会社からは自由になりました(生きるためにお金を稼がなければいけないことに変わりはありませんが)。

考えることをやめてしまったら、生きていると言えるのでしょうか?

与えられたことをやるだけ。言われた通りに動くだけ。それではコンピュータソフトウェアと変わらないのではないでしょうか?

ディアルとドロシーは変化する存在になりました。初期化でそうなったということは、もともと自らの意思で変化することができたということでしょう。

この先、知識の箱の中で二人はどんな生活を送っていくのでしょうか?

もしかしたら、私たちが住むこの世界も本当は仮想現実で、私たちはコンピュータプログラムに過ぎず、ウイルスを除去するためのディアルとドロシーのような存在がどこかにいるのかもしれませんね。

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